2008年 02月 28日
●2008年8月17日ライブについて |
年下の相手と話しをしている時に、
「60歳まではライブをやるつもりなんだ」と私が言うと、
「ミックジャガーやポールマッカートニーだって、、、、云々、、、、
60歳なんてまだまだ若輩じゃないんですか」という反応がかえってくることが多い
ので、2つ違いの友人医師にそう話した時の彼の反応はむしろ意外だった。
「清水さん、今年はライブ、いつやるの?」
「え〜と、8月」
「へえ、じゃあ行けるかも。新曲とかもやるの?」
「やるよ。今、二曲くらいはできてる。できればもっと作りたいね」
「なにか、今までとちがった演出なりを考えているとかもあるの?」
「そうねえ、60歳まではライブをやろうと思っているんで、
今までやり残したことはないか考えて、それをひとつづつ実現したいな、、と」
「60歳!!ははは、がんばるねえ」
たしかにね、ちまたの60歳、、、、昔に比べたら若い感じのオヤジが多くなって
いるとはいえ、自分のクリニックに来院される60歳の患者さんをみると、、、
たしかにねえ、ロックミュージシャンとしてステージにという年齢じゃあ
ないのかもなあ。
でも、私はやるけどね、病気で倒れない限りは。
問題は音楽以外の雑用だな。
KENSO旅館の番頭業、これがなあ〜〜。
私の場合、作曲したりバンドで演奏したりするのは“この世で一番好きなこと”だから、
60歳まではモチベーションが下がることなく確実にやれそうなんだけど、
問題は煩わしい雑用をいつまでやる気持ちになれるか。
ライブで演奏するためには面倒な雑用もやらねば!とモチベーションを
高めることがいったい何歳までできるか、これが鍵だ。
ミック・ジャガーはたしかにすごいし、あの歳でワールドツアーだ、離婚訴訟だ、って
いうのは並外れた体力だとは思うよ。
でも、ミックが「さあ、ツアーやろうか」って言ったら、それでみんなが
お仕事として動いてくれるだろうから、ある意味楽なんじゃないかな?
ミックが動けば大きなお金も動いて、それであぶく銭を手にすることのできる
業界の人々が「待ってました!」とばかりに寄ってきて動くだろうから。
「あ、もしもし、カーナビー・ストリートのミックジャガーですけど」
「いや、肉じゃがじゃなくて、ミック・ジャガー!
(俺って、意外と知られてない?、あ、もしかして、もう忘れられた存在?)」
「そうそう、ローリング・ストーンズのミック・ジャガー、、そうそう歌を歌っている、
えっ? あのオカマ踊りしているやつかって?お前なあ、まあいいや、
そうそう、昔はそういう時期もあった、えっ?最近もテレビで観たけど、やっぱ
オカマ踊りだったって、、、お前いい加減にしろっ!、、、、、あ、待て、
切るな切るな、、、、俺が悪かった、悪うございました、たしかにね、
60すぎたビッグスターがレンタルスタジオの受付の若者にキレかかったのは、
大人げなかった、許せ。でもキミも良くないよ、、、少しは敬語を、、、、えっ?何?
中国では“落石合唱団”という名前でCDが売られていることを知っているかって?
ああ、知っているよ、でも、そんなことじゃなくてえ、今日はそちらの
リハーサルスタジオが一時間いくらで借りられるかを知りたいんだけど、、、
平日は●◎ユーロ、日曜祭日は△▲ユーロ、、、ああ、やっぱ日曜祭日は
少し高い訳ね、、、えっ?何?、、、ああ、6時間パックっていうのがあるの?
平日6時間連続して使うと一時間分サービスしてくれるんだあ、それいいね。
それと譜面台、一台借りるといくら?100円?いや、日本円じゃなくて、、、」
ミックジャガーが、ストーンズのメンバーみんなのスケジュールを聞いて、
自分でパソコンで「みんなのスケジュール表」
作って、「キースは、ここで女と旅行か。チャーリーはここからここまで
植毛手術で入院。ロンはフェイセスの再結成の打ち合わせ、、、、俺は
新しい女のご機嫌をとるためにバリ島に旅行と、、、、するってえと
メンバー全員が空いている日は、、、、」、、、、なんて想像できます?
とにかくメンバーのスケジュール調整&スタジオの予約等の雑用、
もう25年くらいやっていることとはいえ、
そしていちいち電話して予定を訊いていた昔に比べるとメールの
やりとりで済むとはいえ、やはり面倒には変わりない。
誰かに頼みたいけど、零細バンドにはそんな金銭的余裕はない。
そしてそれ以上に、長年やってきて、実際私にしかできないなと思うのである。
どうしてかというと、いったい今書いている曲が何曲あって、それが
どの程度の難しさでというのが、まずは私しか分からない、、、、、と。
、、、、、、、あああ、また愚痴ってしまった。
30周年記念本の中で光田健ちゃんに「清水さんはメールと電話以外では
愚痴らない」と書かれたのに、ブログでも愚痴ってしまった。
「もう自分にしかできないんだから、ブツブツ言わずにやろうよ。
バンドが動き始めてしまえば、めちゃくちゃ楽しいんだからさ」
ということに数年前になったじゃないの、ダメな人ね。
それでも、今のメンバーはそれぞれが私の負担を少なくしてくれるように
スケジュールを出してくれるから、ずいぶんと楽になった。
ライブの制作自体はシンプレックスさんにお願いして楽になったし。
(むかしは駐車場の確保から当日のタイムテーブルから全部私が
やってて、ホント大変だった〜〜)
みんな、ありがとー。
DVD「ハレ紀」のジャケットに、自嘲気味にライブまでのスケジュールを
記載してあるが、あの頃は今よりずっと大変だった。
三ちゃんはアメリカ在住だったし、光田健ちゃんは既に慢性多忙症だったし、
村石君は「昭和の歌姫」にガッツリ予定押さえられていた上に昇り調子だった
椎名林檎嬢ほか隙間無いスケジュールだったし、、、、。
小口クンは?おい、小口クンは何してた?座禅?あの頃、もうやってたっけ?
友人のプロミュージシャン某氏に、「KENSOって何回くらいリハするの?」と
聞かれて、「そうだな、ドラムが小森君になってからは●◎回くらいかな?」
と答えたら、、、「!!そんなにやるの?!」と驚かれた。
そんなにやるんです。今は。
ただ譜面どおりに演奏するだけだったら、私はともかく他の4人は超絶テクニシャンだから
それほど時間はかからない。
しかし、それじゃKENSOの音楽にはならない。
ひとつひとつの音の意味を考え、曲が持っている方向性を考え、
そこに自分の個性を(アドリブでなく)どう反映させてゆくか
自分の持ち味をどう曲に生かしてゆくか考え、
メンバーそれぞれが抱いている曲のイメージをさらにふくらめてゆき、
そして最後に“心をあわせる”。
時間かかるんですよ〜〜KENSOは。
さて、年寄りの戯れ言はこのへんにして、KENSOの今年のライブの目標というか、
私がぜひやりたいことをお知らせしておこう。
新曲を何曲かご披露することで、「うつろいゆくもの」という自信作以降の
次なるKENSOの方向を感じていただくのはもちろんだが、
「照明」、、、ライティングですね。
これをグレードアップしてみたい。
私が今後60歳までのおそらくは10回前後しかないライブにおいて
ぜひやってみたいことのひとつが、きちんと計画を練った「照明」なのだ。
今までも別にいい加減にしていたわけではないが、
多くの場合、ライブハウスの照明スタッフさんに、事前にCDRとかで音を
聞いておいてもらい、またこの曲はこんな感じとある程度の指示は文章で
渡してはいたものの、あとはおまかせのことがほとんどだった。
KENSOの曲は展開が早いので、それに合わせようとするとかえって
曲と照明がちぐはぐになってしまうことが分かってきてからは、よりベーシックな
感じでお願いすることが多くなっていた。
照明スタッフを雇い入れて、機材もライブハウスの基本仕様にプラスして、
つまりいつもよりお金をかけたのは、2003年の小森くんがまだゲスト参加
だった時の「ハレ紀ライブ」だけかな。
なぜそうなったかというと、あの時は私の出身校である県立相模原高校の
創立40周年記念式典での演奏というのがあって、
会場である相模原市民会館でのライブを実施するためには、
普段は成人式とかの公の催しに使われることの多い
市民会館備え付けの機材だけではとてもできなかったからである。
市民会館には照明の専属スタッフというのもいないから(いたとしても
ロックコンサートの照明は無理だろう)、
ロックコンサートを得意とする照明業者に全面的に依頼せざるを
得なかったというわけなのだ。
そして、その流れでクラブチッタでのライブも行ったと、、、、。
プロの業者に頼んだからお金はかかったが、チーフの方がリハーサルにも
来てくれて実際に我々の演奏を聴き、舞台監督や私と打ち合わせをして、低予算ながらも
しっかりと照明プランを練ってくれたおかげで、おそらく今までで一番
演奏と照明があっていたと思う。
ただ、バンドは(もちろん小森くんのものすごい頑張りはあったが)臨時編成で
あったし、とにかく「演奏するので精一杯」だったのが実情で
突き詰めるまでいかなかった。
ということで、私はいつか、ちゃんと計画をたてた照明を使って
KENSOのライブをやってみたいと考えていた。
KENSOの音楽をお客さんがよりイメージ豊かに味わい、
より深く楽しんでいただけるような、
そしてあわよくば、私が今までいくつかの素晴らしいロックコンサートで
体験したような官能的なまでの感動をしていただけたらと、、、、。
ということで、2006年のチッタでのライブより500円ほど値上げさせていただいた。
ライブ制作のシンプレックス・ミュージックの担当者と打ち合わせし、
諸経費はいつも節約してやっていていっぱいいっぱいなんで、
「清水さんのプランを実現するためには値上げもしかたないかも」となった。
ということで、皆さんにはご負担をおかけすることになってしまうが、
それもよいプレッシャーにしながら、よりグレードアップしたライブに
したいと考えている。
当初は、クラブチッタにあるスクリーンを使って映像を、、、というふうに
夢は膨らんだが、いろいろと周囲の意見を訊いてみると、
KENSOをこよなく愛すファンの皆さんは、それぞれがKENSOの楽曲に
並々ならぬ思い入れをお持ちで、それぞれのリスナーの持つ想いやKENSOの
音楽から浮かんでくる映像をかえってじゃましてしまっては、、、という
問題も持ち上がっており、そのほかこれから詰めてゆかないといけない
ことはたくさんあるが、いつも同様、ベストを尽くすつもりだ。
というわけで、皆さんと熱いライブ空間を共有できることを楽しみに
しています!
先行予約の電話、たいへんですよね。
私もオペラとかクラシックのコンサートとかの予約電話で
その大変さは経験しています。
なかなか電話つながらないしね〜〜。
でも、よろしくお願いします!!!
「60歳まではライブをやるつもりなんだ」と私が言うと、
「ミックジャガーやポールマッカートニーだって、、、、云々、、、、
60歳なんてまだまだ若輩じゃないんですか」という反応がかえってくることが多い
ので、2つ違いの友人医師にそう話した時の彼の反応はむしろ意外だった。
「清水さん、今年はライブ、いつやるの?」
「え〜と、8月」
「へえ、じゃあ行けるかも。新曲とかもやるの?」
「やるよ。今、二曲くらいはできてる。できればもっと作りたいね」
「なにか、今までとちがった演出なりを考えているとかもあるの?」
「そうねえ、60歳まではライブをやろうと思っているんで、
今までやり残したことはないか考えて、それをひとつづつ実現したいな、、と」
「60歳!!ははは、がんばるねえ」
たしかにね、ちまたの60歳、、、、昔に比べたら若い感じのオヤジが多くなって
いるとはいえ、自分のクリニックに来院される60歳の患者さんをみると、、、
たしかにねえ、ロックミュージシャンとしてステージにという年齢じゃあ
ないのかもなあ。
でも、私はやるけどね、病気で倒れない限りは。
問題は音楽以外の雑用だな。
KENSO旅館の番頭業、これがなあ〜〜。
私の場合、作曲したりバンドで演奏したりするのは“この世で一番好きなこと”だから、
60歳まではモチベーションが下がることなく確実にやれそうなんだけど、
問題は煩わしい雑用をいつまでやる気持ちになれるか。
ライブで演奏するためには面倒な雑用もやらねば!とモチベーションを
高めることがいったい何歳までできるか、これが鍵だ。
ミック・ジャガーはたしかにすごいし、あの歳でワールドツアーだ、離婚訴訟だ、って
いうのは並外れた体力だとは思うよ。
でも、ミックが「さあ、ツアーやろうか」って言ったら、それでみんなが
お仕事として動いてくれるだろうから、ある意味楽なんじゃないかな?
ミックが動けば大きなお金も動いて、それであぶく銭を手にすることのできる
業界の人々が「待ってました!」とばかりに寄ってきて動くだろうから。
「あ、もしもし、カーナビー・ストリートのミックジャガーですけど」
「いや、肉じゃがじゃなくて、ミック・ジャガー!
(俺って、意外と知られてない?、あ、もしかして、もう忘れられた存在?)」
「そうそう、ローリング・ストーンズのミック・ジャガー、、そうそう歌を歌っている、
えっ? あのオカマ踊りしているやつかって?お前なあ、まあいいや、
そうそう、昔はそういう時期もあった、えっ?最近もテレビで観たけど、やっぱ
オカマ踊りだったって、、、お前いい加減にしろっ!、、、、、あ、待て、
切るな切るな、、、、俺が悪かった、悪うございました、たしかにね、
60すぎたビッグスターがレンタルスタジオの受付の若者にキレかかったのは、
大人げなかった、許せ。でもキミも良くないよ、、、少しは敬語を、、、、えっ?何?
中国では“落石合唱団”という名前でCDが売られていることを知っているかって?
ああ、知っているよ、でも、そんなことじゃなくてえ、今日はそちらの
リハーサルスタジオが一時間いくらで借りられるかを知りたいんだけど、、、
平日は●◎ユーロ、日曜祭日は△▲ユーロ、、、ああ、やっぱ日曜祭日は
少し高い訳ね、、、えっ?何?、、、ああ、6時間パックっていうのがあるの?
平日6時間連続して使うと一時間分サービスしてくれるんだあ、それいいね。
それと譜面台、一台借りるといくら?100円?いや、日本円じゃなくて、、、」
ミックジャガーが、ストーンズのメンバーみんなのスケジュールを聞いて、
自分でパソコンで「みんなのスケジュール表」
作って、「キースは、ここで女と旅行か。チャーリーはここからここまで
植毛手術で入院。ロンはフェイセスの再結成の打ち合わせ、、、、俺は
新しい女のご機嫌をとるためにバリ島に旅行と、、、、するってえと
メンバー全員が空いている日は、、、、」、、、、なんて想像できます?
とにかくメンバーのスケジュール調整&スタジオの予約等の雑用、
もう25年くらいやっていることとはいえ、
そしていちいち電話して予定を訊いていた昔に比べるとメールの
やりとりで済むとはいえ、やはり面倒には変わりない。
誰かに頼みたいけど、零細バンドにはそんな金銭的余裕はない。
そしてそれ以上に、長年やってきて、実際私にしかできないなと思うのである。
どうしてかというと、いったい今書いている曲が何曲あって、それが
どの程度の難しさでというのが、まずは私しか分からない、、、、、と。
、、、、、、、あああ、また愚痴ってしまった。
30周年記念本の中で光田健ちゃんに「清水さんはメールと電話以外では
愚痴らない」と書かれたのに、ブログでも愚痴ってしまった。
「もう自分にしかできないんだから、ブツブツ言わずにやろうよ。
バンドが動き始めてしまえば、めちゃくちゃ楽しいんだからさ」
ということに数年前になったじゃないの、ダメな人ね。
それでも、今のメンバーはそれぞれが私の負担を少なくしてくれるように
スケジュールを出してくれるから、ずいぶんと楽になった。
ライブの制作自体はシンプレックスさんにお願いして楽になったし。
(むかしは駐車場の確保から当日のタイムテーブルから全部私が
やってて、ホント大変だった〜〜)
みんな、ありがとー。
DVD「ハレ紀」のジャケットに、自嘲気味にライブまでのスケジュールを
記載してあるが、あの頃は今よりずっと大変だった。
三ちゃんはアメリカ在住だったし、光田健ちゃんは既に慢性多忙症だったし、
村石君は「昭和の歌姫」にガッツリ予定押さえられていた上に昇り調子だった
椎名林檎嬢ほか隙間無いスケジュールだったし、、、、。
小口クンは?おい、小口クンは何してた?座禅?あの頃、もうやってたっけ?
友人のプロミュージシャン某氏に、「KENSOって何回くらいリハするの?」と
聞かれて、「そうだな、ドラムが小森君になってからは●◎回くらいかな?」
と答えたら、、、「!!そんなにやるの?!」と驚かれた。
そんなにやるんです。今は。
ただ譜面どおりに演奏するだけだったら、私はともかく他の4人は超絶テクニシャンだから
それほど時間はかからない。
しかし、それじゃKENSOの音楽にはならない。
ひとつひとつの音の意味を考え、曲が持っている方向性を考え、
そこに自分の個性を(アドリブでなく)どう反映させてゆくか
自分の持ち味をどう曲に生かしてゆくか考え、
メンバーそれぞれが抱いている曲のイメージをさらにふくらめてゆき、
そして最後に“心をあわせる”。
時間かかるんですよ〜〜KENSOは。
さて、年寄りの戯れ言はこのへんにして、KENSOの今年のライブの目標というか、
私がぜひやりたいことをお知らせしておこう。
新曲を何曲かご披露することで、「うつろいゆくもの」という自信作以降の
次なるKENSOの方向を感じていただくのはもちろんだが、
「照明」、、、ライティングですね。
これをグレードアップしてみたい。
私が今後60歳までのおそらくは10回前後しかないライブにおいて
ぜひやってみたいことのひとつが、きちんと計画を練った「照明」なのだ。
今までも別にいい加減にしていたわけではないが、
多くの場合、ライブハウスの照明スタッフさんに、事前にCDRとかで音を
聞いておいてもらい、またこの曲はこんな感じとある程度の指示は文章で
渡してはいたものの、あとはおまかせのことがほとんどだった。
KENSOの曲は展開が早いので、それに合わせようとするとかえって
曲と照明がちぐはぐになってしまうことが分かってきてからは、よりベーシックな
感じでお願いすることが多くなっていた。
照明スタッフを雇い入れて、機材もライブハウスの基本仕様にプラスして、
つまりいつもよりお金をかけたのは、2003年の小森くんがまだゲスト参加
だった時の「ハレ紀ライブ」だけかな。
なぜそうなったかというと、あの時は私の出身校である県立相模原高校の
創立40周年記念式典での演奏というのがあって、
会場である相模原市民会館でのライブを実施するためには、
普段は成人式とかの公の催しに使われることの多い
市民会館備え付けの機材だけではとてもできなかったからである。
市民会館には照明の専属スタッフというのもいないから(いたとしても
ロックコンサートの照明は無理だろう)、
ロックコンサートを得意とする照明業者に全面的に依頼せざるを
得なかったというわけなのだ。
そして、その流れでクラブチッタでのライブも行ったと、、、、。
プロの業者に頼んだからお金はかかったが、チーフの方がリハーサルにも
来てくれて実際に我々の演奏を聴き、舞台監督や私と打ち合わせをして、低予算ながらも
しっかりと照明プランを練ってくれたおかげで、おそらく今までで一番
演奏と照明があっていたと思う。
ただ、バンドは(もちろん小森くんのものすごい頑張りはあったが)臨時編成で
あったし、とにかく「演奏するので精一杯」だったのが実情で
突き詰めるまでいかなかった。
ということで、私はいつか、ちゃんと計画をたてた照明を使って
KENSOのライブをやってみたいと考えていた。
KENSOの音楽をお客さんがよりイメージ豊かに味わい、
より深く楽しんでいただけるような、
そしてあわよくば、私が今までいくつかの素晴らしいロックコンサートで
体験したような官能的なまでの感動をしていただけたらと、、、、。
ということで、2006年のチッタでのライブより500円ほど値上げさせていただいた。
ライブ制作のシンプレックス・ミュージックの担当者と打ち合わせし、
諸経費はいつも節約してやっていていっぱいいっぱいなんで、
「清水さんのプランを実現するためには値上げもしかたないかも」となった。
ということで、皆さんにはご負担をおかけすることになってしまうが、
それもよいプレッシャーにしながら、よりグレードアップしたライブに
したいと考えている。
当初は、クラブチッタにあるスクリーンを使って映像を、、、というふうに
夢は膨らんだが、いろいろと周囲の意見を訊いてみると、
KENSOをこよなく愛すファンの皆さんは、それぞれがKENSOの楽曲に
並々ならぬ思い入れをお持ちで、それぞれのリスナーの持つ想いやKENSOの
音楽から浮かんでくる映像をかえってじゃましてしまっては、、、という
問題も持ち上がっており、そのほかこれから詰めてゆかないといけない
ことはたくさんあるが、いつも同様、ベストを尽くすつもりだ。
というわけで、皆さんと熱いライブ空間を共有できることを楽しみに
しています!
先行予約の電話、たいへんですよね。
私もオペラとかクラシックのコンサートとかの予約電話で
その大変さは経験しています。
なかなか電話つながらないしね〜〜。
でも、よろしくお願いします!!!
by kenso1974
| 2008-02-28 23:10