2025年 08月 19日
●親友の死 |
皆様に悲しいお知らせをしなくてはなりません。
無二の親友、小口健一君が急逝されました。
彼と出会ったのは私の記憶に間違いがなければ1983年の秋。
約42年にわたってKENSOで切磋琢磨しながら濃密に関わった大切な友でした。
とにかく音楽が好きで、私も彼に色々な音楽を紹介したし、彼からもたくさん教わりました。
「清水さん、これ知ってます?」そんな声が今でも聞こえてくるようです。
流石に最近は数時間で終わっていましたが、若い頃には夜を徹して音楽談義で盛り上がりました。
もちろん、長い付き合いの中には意見がぶつかることはありましたが、お互い「小口は、ああいうやつだかたら仕方ないな」「清水さんは、ああいう人だから仕方ないな」と乗り越えて、あるいはやり過ごしてきたように思います。
今は、彼との楽しかったエピソードばかり思い出します。
彼自身は気づいていないと思いますが、彼は時々、自信満々で他人には理解できない行動をしました。
私はもっともっと老人になったら、彼に一つ一つ、「あれはどういう意味だったのか」聞いてみたいと思ってました。
例えば、「どうして、“夢の丘”のジャケ写でキーボードの下敷きになっているのか」。
あれは、小口君の友人の写真家が小口君の自宅で撮影したもので、「あの構図は小口のオファーだった」とかつて私に語ってくれました。
その写真家は、確か中学校くらいからの小口くんとの付き合いだったので、その“不可思議な感覚”を知っていて、「小口のやりたいように」と撮影したのでしょう。
1984年ごろ、神奈川歯科大の軽音部室で「聖なる夢」のリハーサルをしている時、佐橋俊彦くんにコードの入るタイミングを伝えるのに
「佐橋さん、そこは、1,2,3,シパッ、1,2,サパッ、1,ニパッでお願いします」
と妙な指の折り方をしながら演奏して見せて佐橋くんが「小口、 シパッてなんだよ、シパッて」と大笑いしていたのを思い出します。
病気だという話は全く聞いておりませんでした。
私が入院中も何度かメールをくれて、
「お見舞いに行きたいんですけど」
「ありがとう。でもこの病院、家族以外の見舞いはNGなんだ」
「そうなんですか~」
「気持ちだけいただいておくよ、ありがとね」
というやり取り、、、、とDeep Purpleの話をしましたのが、最後になりました。
ご家族からお話しを伺うと、本当に急変だったようです。
DVD「LIVE IN USA」(NEAR FEST反省会)や「プログレッシヴ・ロックの作り方」(オグ・シミ対談)に小口君との楽しい音楽談義が収録されていますし、今年4月にDVD化された「秘匿性心象」にももちろん、彼はたくさん映っています。
でも今はショックすぎて、元気だった小口君が映っているそれらを観る気になれません。
残念だ。寂しい。冥福を祈りたいけど、まだ彼の死が受け入れられない。
小口君、君は最期に何を見ていたの?
君は最期に何を感じていたの?
君の中で最期にどんな音楽が鳴っていたの?
KENSOファンの皆様、ぜひ、小口君の独創的な曲を聴き直してみてください。
どの曲も、私には絶対にかけなかった“小口ワールド”が溢れています。
いずれご紹介したいと思いますが、佐橋俊彦君、光田健一君というKENSO ツイン・キーボード・アンサンブルを小口君とともに築いたKey奏者も小口君の優れた才能について語ってくれました。
「月夜舟行」についての秀逸なレビューを見つけたので、ご紹介します。
by kenso1974
| 2025-08-19 21:27

