2011年 07月 09日
●ライブへ向けてついに始動ですかいな |
数日前、KENSOのドラマー小森啓資君のHPに以下のように書かれていたのを
まったく偶然発見した。
コモリズムー『KENSO Live 2011』参加中止のご報告
そうなのである。12月なら人間部活動も終わっているだろうということでの
12月だったのだ。でも、人生何があるか分からない、とりあえず生きている、否、
生かされていることに感謝しなければいけないと本気で思うくらい、
人生一寸先は闇なのだ。54年も人間やっている、そして歯科大の同級生が既に
一割死んでしまっているという現実を目の当たりにして私は、つくづくそう感じるのです。
でも、彼はこうも書いてくれている。
なんという有り難いコメントだろう。
彼の人間性がうかがえる律儀で義理堅くそして熱いコメントだ。
私は2003年11月に、当時のドラマーが他の仕事のため急遽ライブに出られなくなったそのピンチヒッターとして小森くんと初めて演奏した時のことを文章にし、
このブログで公開した。
そして、彼も「KENSOと一緒に演奏した」ということを彼のサイトのエッセイに書いており、私はそれをプリントアウトして院長室の壁に貼った。そしてそれは今も貼ってある。それだけ嬉しかったし、この素晴らしいドラマーと一緒に演奏できる幸せを、ありがたさを、その文章を時々読んでは噛み締める。きっと、今回のこのコメントも壁に貼ってしまうだろう。私が言うまでもなく、みんな知っている。小森くんは最高のロックドラマーなのだ。
さて、そんな小森くんの不在は本当に残念だけれど、
彼の人間部活動」が首尾よく進むことを心から祈りつつ、
「気持ちを切り替え人生の駒を進めよう、Show must go on.」と思いつつも、
現実には慶応義塾大学での講義や新作のレコーディングで
いっぱいいっぱいで、なかなか時間がとれなかったが、7月に入ってからやっと、
「あの頃、お互い若かった」山本治彦氏の協力を得て行う12月4日のライブに向けて、そろそろ私の中で何かが動き始めている。
ハルキチくんも自身のブログで書いてくれているが、まず間違いなく、このメンバーでライブをすることはこの先はないであろう。(ハルキチくんがゲストで数曲叩くというようなことはあるかもしれないが)
私は一応60歳をKENSOの活動の一区切りにしようと考えているから、残り時間はあと5年半だ。前回の(私の体調が絶不調だった)2009年8月のライブから、今回までのインターバルが2年4ヶ月であることを考えると、60歳までにできるライブは今回を入れても3~4回しかないことになる。
その中の一回、2011年12月4日は、おそらく初期のKENSOのテイストを感じることのできる最後のライブになるはずだ。1983年から演奏していなかった「KENSO 1ST」収録の某曲をライブで聴けるのは今回が最後だろう。つまり私の生涯で、その曲を演奏するのは2011/12/04が最後だということになる。そう考えると、非常に気持が高ぶる。悔いのない演奏にしようと思う。
また、おなじみのKENSO楽曲が、ハルキチ・ドラムによってどう表情を変えるかも見物、聞きモノだろう。私も楽しみだ。
ハルキチ君からの「僕にとってとても思い出深い曲だから、、、」というリクエスト曲も、そういえば光田くんが加入してからは一度も演奏していないのかな?
思えば前述の2003年11月のライヴも臨時編成によるものだった。
そして、不倫の愛にも似た感情の盛り上がりが、
そのライブに特殊なエナジーを与えた。
2003年11月のライブは、私の中でkenso史上屈指のライブとなった。
だから、今回もきっと何かが起こるはずだし、臨時編成にもかかわらずチケットを
購入していらしてくださるオーディエンスが「ああ、良いライブだった!」と
感じてくださるようなライブにすべく全力を尽くすつもりだ。
あの日、あの時にシルバーエレファントや六本木ピットインで同じ時をすごした
昔からのファンの方には大きめのハンカチが必要かもしれない。
「涙拭くハンカチもあるし」と偉そうに歌った私と同姓の歌手は、
覚醒剤使用の累犯で何度目かの刑務所入りの最中であるし、
物販でKENSOタオルの販売はしないので、各自用意してほしい。
それより、私が感極まらないようにしないと。ああ~自信ないなあ。
ライブ会場のみで販売する通称「KENSO AID」、制作資金集めのための
データCD ROMの音源のために、むか~~しのカセットテープをチェックしていたら、若くして病気のために亡くなった 初期KENSOのKEY奏者・牧内淳くんと私との会話が入っていた。
牧内「するどいことを考えている」
清水「うん」
牧内「ノイズ対策」
たったそれだけだったが、私、ハルキチ君、松元公良君、矢島史郎さん、
そして牧内君で、歯科大の軽音部室で音楽を作っていた光景が眼前に現れた。
現在、佳境に入っている新作のギター録音が一段落したら、秋に再発される「IN CONCERT」や「Eearly live」を聞きながらあの頃の自分たちにできなくて今は出来ること、今やっておかなければいけないことについて話し合うために、ハルキチ・スタジオを訪れるつもりだ。ハルキチくんにはまだ話していないのであるが(笑)。
ということなんで、みなさん、KENSOを、KENSOのライブを体験する数少ない
貴重な機会です。
ぜひ、ライブ会場に足を運んでください。
チケット先行予約などの情報は、、、、、え~~と、トップページから
ライブ情報のページに掲載されています。
次回は、miwako amazing voiceについてである。乞うご期待。
まったく偶然発見した。
コモリズムー『KENSO Live 2011』参加中止のご報告
現在、人間部活動中の自分の中では、このライブに活動再開のタイミングを合わせていた事もあり、今回の決断に至る迄かなりの葛藤を繰り返してきましたが、やむお得ない事情による苦渋の判断ゆえ、何卒ご理解頂けると幸いです。
そうなのである。12月なら人間部活動も終わっているだろうということでの
12月だったのだ。でも、人生何があるか分からない、とりあえず生きている、否、
生かされていることに感謝しなければいけないと本気で思うくらい、
人生一寸先は闇なのだ。54年も人間やっている、そして歯科大の同級生が既に
一割死んでしまっているという現実を目の当たりにして私は、つくづくそう感じるのです。
でも、彼はこうも書いてくれている。
今後の予定に関しては未定ですが、おそらくライブより先に、KENSOのニューアルバムを皆さんにお届けする事になるかと思います。これ迄よりも更に高い次元で、渾身のプレーをお届けできると思っておりますので、どうか期待していて下さい。それでは、またKENSO のステージでみなさんとお会い出来る日を、心より楽しみにしています!
なんという有り難いコメントだろう。
彼の人間性がうかがえる律儀で義理堅くそして熱いコメントだ。
私は2003年11月に、当時のドラマーが他の仕事のため急遽ライブに出られなくなったそのピンチヒッターとして小森くんと初めて演奏した時のことを文章にし、
このブログで公開した。
そして、彼も「KENSOと一緒に演奏した」ということを彼のサイトのエッセイに書いており、私はそれをプリントアウトして院長室の壁に貼った。そしてそれは今も貼ってある。それだけ嬉しかったし、この素晴らしいドラマーと一緒に演奏できる幸せを、ありがたさを、その文章を時々読んでは噛み締める。きっと、今回のこのコメントも壁に貼ってしまうだろう。私が言うまでもなく、みんな知っている。小森くんは最高のロックドラマーなのだ。
さて、そんな小森くんの不在は本当に残念だけれど、
彼の人間部活動」が首尾よく進むことを心から祈りつつ、
「気持ちを切り替え人生の駒を進めよう、Show must go on.」と思いつつも、
現実には慶応義塾大学での講義や新作のレコーディングで
いっぱいいっぱいで、なかなか時間がとれなかったが、7月に入ってからやっと、
「あの頃、お互い若かった」山本治彦氏の協力を得て行う12月4日のライブに向けて、そろそろ私の中で何かが動き始めている。
ハルキチくんも自身のブログで書いてくれているが、まず間違いなく、このメンバーでライブをすることはこの先はないであろう。(ハルキチくんがゲストで数曲叩くというようなことはあるかもしれないが)
私は一応60歳をKENSOの活動の一区切りにしようと考えているから、残り時間はあと5年半だ。前回の(私の体調が絶不調だった)2009年8月のライブから、今回までのインターバルが2年4ヶ月であることを考えると、60歳までにできるライブは今回を入れても3~4回しかないことになる。
その中の一回、2011年12月4日は、おそらく初期のKENSOのテイストを感じることのできる最後のライブになるはずだ。1983年から演奏していなかった「KENSO 1ST」収録の某曲をライブで聴けるのは今回が最後だろう。つまり私の生涯で、その曲を演奏するのは2011/12/04が最後だということになる。そう考えると、非常に気持が高ぶる。悔いのない演奏にしようと思う。
また、おなじみのKENSO楽曲が、ハルキチ・ドラムによってどう表情を変えるかも見物、聞きモノだろう。私も楽しみだ。
ハルキチ君からの「僕にとってとても思い出深い曲だから、、、」というリクエスト曲も、そういえば光田くんが加入してからは一度も演奏していないのかな?
思えば前述の2003年11月のライヴも臨時編成によるものだった。
そして、不倫の愛にも似た感情の盛り上がりが、
そのライブに特殊なエナジーを与えた。
2003年11月のライブは、私の中でkenso史上屈指のライブとなった。
だから、今回もきっと何かが起こるはずだし、臨時編成にもかかわらずチケットを
購入していらしてくださるオーディエンスが「ああ、良いライブだった!」と
感じてくださるようなライブにすべく全力を尽くすつもりだ。
あの日、あの時にシルバーエレファントや六本木ピットインで同じ時をすごした
昔からのファンの方には大きめのハンカチが必要かもしれない。
「涙拭くハンカチもあるし」と偉そうに歌った私と同姓の歌手は、
覚醒剤使用の累犯で何度目かの刑務所入りの最中であるし、
物販でKENSOタオルの販売はしないので、各自用意してほしい。
それより、私が感極まらないようにしないと。ああ~自信ないなあ。
ライブ会場のみで販売する通称「KENSO AID」、制作資金集めのための
データCD ROMの音源のために、むか~~しのカセットテープをチェックしていたら、若くして病気のために亡くなった 初期KENSOのKEY奏者・牧内淳くんと私との会話が入っていた。
牧内「するどいことを考えている」
清水「うん」
牧内「ノイズ対策」
たったそれだけだったが、私、ハルキチ君、松元公良君、矢島史郎さん、
そして牧内君で、歯科大の軽音部室で音楽を作っていた光景が眼前に現れた。
現在、佳境に入っている新作のギター録音が一段落したら、秋に再発される「IN CONCERT」や「Eearly live」を聞きながらあの頃の自分たちにできなくて今は出来ること、今やっておかなければいけないことについて話し合うために、ハルキチ・スタジオを訪れるつもりだ。ハルキチくんにはまだ話していないのであるが(笑)。
ということなんで、みなさん、KENSOを、KENSOのライブを体験する数少ない
貴重な機会です。
ぜひ、ライブ会場に足を運んでください。
チケット先行予約などの情報は、、、、、え~~と、トップページから
ライブ情報のページに掲載されています。
次回は、miwako amazing voiceについてである。乞うご期待。
by kenso1974
| 2011-07-09 23:12