相模原高等学校の同期会のような会 |
●相模原高校の同期会
神奈川歯科大卒後35年経ったが、歯科大の同期会は何回くらい開かれたのだろうか?
私の記憶では4回くらいかと思うが、私が出席したのは最初の一回だけ。
「学生時代は楽しくて最高だった」とはとても思えなかった私は、
昔を懐かしむ気持ちになれなかったし、慢性的多忙状態の中、
時間があれば「これから何をしてゆくか」を考ることを優先させてきた。
そんな私であるが、神奈川県立相模原高等学校(県相:kenso)の同期会的な会に行ってきた。
「同期会的な会」と書いた理由は、この会は、いわゆる同窓会ではなく、
私が高校二年三年時の担任E先生が独自の基準によって選んだ(らしい、真実は知らない)
相模原高校10期の生徒に「還暦祝いの会を開くから出欠を報せよ」という手紙を出したところから
始まっているからだ。E先生は、当時まだ新設校だった同高校を一応進学校と言われるまでに
レヴェルアップさせるのに大きく貢献した、かなり偏屈だが、厳しくも生徒思いの
先生だった。そんな先生が自腹を切って開催してくれる会、ご恩返しに
行ってみようと思ったのだ。
歯科大の同期生とは、同業者なもので、研修会やら歯科医師会のイヴェントなどで
結構会う機会がある。ところが、相模原高等学校の同期生にあうのは、
(何十年前に、偶然道ですれ違ったとかを除けば)おそらく卒業以来、すなわち42年ぶり
なのである。その日の午前中から午後3時まで、
DVD用のトラックダウン作業をエンジニアの大迫氏の
自宅スタジオでやっていた私、開宴ギリギリに会場に着いた。
受付を済まし、ちょっと見回してみたが、知っている顔がない!ない!ない!
なんとなく覚えのある顔もあるが、何しろ一学年8クラス計約300名のうちの20名、
もしかしたら生徒だった当時にすら話たことのない奴も含まれているはずで、
しかもみんな外観も42年分変化している。
しかたなく、端っこの席に座って、
「お~懐かしいな!」
「俺覚えてる?サッカー部の●▲だよ」などと既に旧交を温め始めた同期生を横目に、
文庫本を読みながら
出席者全員が首からかけた「ネームプレート」の文字をひそかに追った。
偶然、かつて歯科大を一緒に受験しに行った歯科医師のY君が斜め前に座っていたので、
それを足がかりに少しずつ会話の輪に入ってゆくことができた、ホッとした。
順番に「一人一言」を行なっているうちに、「あ、あいつだったのか~』という
雰囲気になり、私も、当時ともに一所懸命勉強した友人だちとの会話を
楽しんだ。高校時代、映画観賞が趣味だった、現在県下有数の進学校の教頭を
しているK君に「一昨日、ワイダ監督の遺作“残像”を見てきたんだよ」と話しかけたら、
「ああ、僕最近は映画見てないんだよね~」といった“空振り”もあったが、
みんなそれぞれの人生を、精一杯生きてきたんだろうな~としみじみ思える
とても良い会であった。
成績の番付表で常に意識していた宇宙工学の好きだったYくんと国立大医学部に進んだMくん
(なんと現在の住まいが私のクリニックのすぐ近くだったことが判明)、物凄い努力で東工大に入ったK君(進学校教頭とは別な人物)らと話が弾んだ。
一人一言を始める前に、E先生への感謝の寄せ書きをしたのだが、
会場から「えっ?県相バンド(当時はそう呼ばれていた)の清水くん、きてるの?」
という声が聞こえた時は、「覚えてくれてたんだ~」と何となく嬉しかった。
閉会まぎわに、
定年退職して北海道まで自転車でツーリングして来た某氏(ごめん!名前思い出せない)
から「ブログ、読んでるよ」と話しかけられた。彼とは帰りの電車が一緒で、
「そういえば、高校時代に一緒にコンサート行ったよね?」と聞いたら
「いや、行ってないと思うよ。清水の青少年会館でのライブには行ったけど」と、
またも空振りかと思ったが、いや、たぶん行ったと思う。彼は忘れているかも
しれないけれど。
同じクラスの友人の家族が外タレの招聘に関わっていて、
その時流行っていたファンクバンド「WAR」の武道館公演のチケットが
余っているということで、僕らにくれたのだった。
私にとって初めての武道館体験だった。
その日、我々高校生は最前列で観ていたのだが、PAの調子が悪く、大きなノイズが耳障りで
あった。
一時は「公演中止か?」的な雰囲気になったのであるが、
その揉めている間にWARのハーモニカ奏者のリー・オスカーが独演を
はじめたんだ。その素晴らしいこと!会場は大いに盛り上がり、
結局、PAのノイズはそのままに、バンドは「リー・オスカーに続け!」とばかりに
大熱演、会場はものすごい熱気に包まれ最高潮、みんな乗りまくった。
私にとって世界的なバンドの圧倒的なまでの底力を体験した、
忘れられない一夜だった。
同期会の会場では、11月12日のライブ・チラシも配布させて
もらった(このチラシに書いてある、kensoメンバー5名の
コメント、すごくよいのです。皆さん、入手してくださいね)。
「チケット代、高っ!!」
「そういうこと言うなよ!清水が一所懸命やってるんだから!」
「清水、髪の毛、短っ!」
そう、私は当時長髪で、風紀のS先生に注意されては、
いつもシカトしていたのだが、
或る日、職員室に呼び出しをくらい、
「来週の月曜日までに髪を短くしてきます」という
誓約書を書かされた。
“これはまずい、証拠が残ってしまった”と悩んだ清水少年は、
翌日の早朝4時くらいに職員室に忍び込み、
S先生の机の引き出しから、その誓約書を盗んだのでした。
私が職員室から出たとほぼ同時に、
誰か(宿直?)がもう一つのドアから入ってきて、
すごく心臓がドキドキしたことを覚えている。
色々なことを思い出した同期会みたいな会、
なんだか、温かい気持ちになった。
私も年をとったのかな。
さて、話は変わって、全ライヴDVD計画、着実に進んでおります。
収録曲は全て決まり、映像の野呂氏と音の大迫氏というゴールデンコンビの
献身的、まさに「献身」としか言いようのない制作作業によって、
とてつもなく素晴らしい作品になるでしょう。
2004年の新生kenso、2005年の突っ走るkenso、
「うつろいゆくもの」リリース直後の2006年の誇りに満ちた演奏、
2007年と2008年の京都ライブ、、、、、
私も感慨深く映像をチェックしました。
11月12日のライブで、先行発売。完全限定盤です。
院長室が在庫のダンボールで狭くなるので、確実に売り切れる枚数しか作りません。
それと、半田美和子さんがMCを務めるFMの番組へのゲスト出演が決まりました。
収録は来週木曜、on airの日がいつなのか、私は現時点では知らないので、
分かり次第、本ブログで報告します。
ぜひ、聞いてくださいね。
では、皆さんも残された人生を充実して過ごしてください。
追記:
少し前に読んだ橘川幸夫著「ロッキング・オンの時代」は、
まだミニコミであった頃から「ロッキング・オン」を貪るように読んでいた私にとって、
「へえ、そうだったのか~」と興味深いエピソードが満載であったが、
これは明らかに著者の筆力不足(まあ、私の場合、敬愛する大正から昭和初期の文豪の
私小説とどうしても比較してしまうので)によるものだろうが、当時の世相なり昭和の風景が
文面から立ち上がってくるまではいかなかった。
それでも、いくつかの印象的な文章もあった。
例えば、このような、、、
「ロックとはミュージシャンが作った一枚のレコードではなく、
むしろミュージシャンが一枚のレコードを作らねばならなかった、
のっぴきならない〈原因〉のほうである」
これは、ロックの本質をついている意見だと思う。