●慶應義塾大学での講義という稀有な経験について |
2011年度 慶應義塾大学文学部設置総合科目「前衛と伝統」
http://web.mita.keio.ac.jp/~tatsumi/sogo/
の講師として、講義を行った。
私の演題は「異次元への扉 プログレッシブロック」。
まずは、私のような者を講師として任命してくださった
慶應義塾大学文学部教授の巽孝之教授、大串尚代准教授、ほか同講座コーディネーターの先生方、実際に細々とした雑用をしてくださった大学院博士課程在籍中の
Eさん、Sさんに心からの御礼をお申し上げます。
貴重な機会を与えていただき、楽しくて刺激的で有意義な体験をさせていただいた
ことを本当に有難く思っています。
まずは、講師依頼を受諾する際に提出する書類に「履歴書」は当然として
「業績一覧」なるものがあり、出版物、作品のほかに、提出した論文を書く欄まであったので、そっか~「時報変拍子講座」のような気軽なものではないのだ、
大学の講義、私に要求されるのはアカデミックな内容なのだといっそうの
プレッシャーがかかったことを告白する。
論文ですか~~、20年以上前に岡山大学医学部に提出した学位論文の
タイトルを書きました。ぜんぜんプログレとは関係ないんですけど。
学会発表については、一昨年の神奈川県歯科医師会学術大会での発表を記載。
まずは緊張と不安のスタートであった。
5月8日の本ブログにも書いた打合せのあと、kensoのレコーディングを中断して、
野呂政幸氏の協力のもと、配布用の資料を書き、講義の全体像を練り、具体的な
しゃべり原稿を書き、音源を作り、、、と、「ねえ、ねえ、清水くん、
これって講義の準備なんでしょう?ほどほどにしたら?」という声がもう一人の自分から聞こえてくるほど、入れ込んで、凝りまくって、もはや“のめり込み”の
段階にまで入ってしまった。でも、楽しかった。
巽先生から「前衛と伝統」というテーマと「プログレッシブロック」をどう
結びつけるかということについての助言も得て、自分なりにかなり面白い
と思える内容にできた。
「まあここまでやって、それで若者に受け入れられなかったら、それは
仕方ない」というところまで、時間と諸事情の許す限り力を注ぎ込んだ
講義資料や音源は、正直言って一度だけの講義では
勿体無いくらいのものになったと思う。
EさんやSさんには、KENSOも含めたプログレッシブロック関連の音源
を送って、それまでプログレの「プ」の字もご存じなかった
若くてチャーミングな文学部博士課程在籍大学院生(こだわりますね~~。
いいだろう、うらやましいだろうって、同世代男性に言いたいんですよ、私は)の
穢れ無き感性にジャブをいれつつ、講義でやろうと思っていた
「変拍子手締め」が若者に通じるか、現代の若者も「手締め」なんてやるのか、
などについて質問していった。ありがとうね、今では既に静かな学究生活に
戻られているであろう、Eさん、Sさん。
もし、将来、本を出版されるようなことがあれば、ぜひ連絡してくださいね。
一冊、必ず購入しますから。
それと、私の機材&物販の入った大きくて無骨で、きっと慶應義塾大学
文学部准教授室などという私にとっては深窓の令嬢(この言葉を使うたびに、
萩原朔太郎の“内部に居る人が畸形な病人に見える理由”という詩を連想
してしまう)の部屋に等しい部屋には相応しくない段ボールを、数日間
預かっていただいた大串准教授、、、、。
4月の打合せの際、巽先生の言葉を借りれば「新歓コンパに拉致されて
いったようです」ということで、お会いできなかったのであるが、
「会えない時間が愛育てるのさ」、、、、い、い、いや失礼。
どうして俺ってこんなに、、、、あ、卑屈になっている、清水君。
「新歓コンパに拉致されている」という表現と「大串」というお名前から
私が想像していたのは、酒豪で体格のよい、そうだなあ、
アラマーイルマンヴァサラットのトロンボーン奏者のような雰囲気の
女性だったが、お会いしたら、いやいや、これまた細身のチャーミングな方、
「でも、きっとスゲエ優秀なんだろうなあ」という私の卑屈な身構えを
察したか、巽先生が「彼女は、少女漫画についても造詣が深いんですよ」
と教えて下さり、漫画家を目指したこともある私は親しい感情を
持つことができたのです。あれ?女性の話ばかりになってしまった。
閑話休題。
6月7日、朝6時10分には三田線に乗っていた。
なぜかというと、本当は、9時集合だったので、8時くらいに家を出れば
いいやと思っていたのだが、そんな時間にギターを持って電車に乗ったら
大ヒンシュクモノだよと家族に言われ、ヒンシュクを買うのは別に構わないが、
ギターを壊されたら否なので、安全な時間ということで、そんな時間になって
しまったのだ。三田駅には6時50分ごろに到着。
三田になんて、めったに来る機会はないのだから、三田にしかないような
店で食事したいなあ&慶應義塾大学の学食も経験してみたい、、、、という
私の小さな夢は完全に打ち砕かれ、日本全国どこにでもあると思われる
ガストで、その日最初の客として入店し朝食をとった。
正式な店名が「ガスト三田慶應大学前店」であることがせめてもの
救いであった。これが「ガスト三田店」だったら、私は私は、、、、、
それにしても、ここの朝定食はおかずが少い。
スクランブルエッグとソーセージ+米飯+ドリンクバー(含スープ)で
490円だかなので、仕方ないのでろうが、プレイボーイクラブの
ようなウサギの耳をつけた(あれは早朝のお目覚めサービスなのだろうか?)
ウエイトレスのオバサンに、
「ご飯は同じお値段で大盛りにできますが、どうしますか」と訊かれて
「いや、普通でいいです」と答えておいてよかった。
スクランブルエッグ、ソーセージ、申し訳程度のサラダを食べ終えた時点で
米飯はまだ三分の一くらい残っていた。
今思えば、薄い、具のほとんど入っていないスープにご飯をいれて、
リゾットのようにして食べればよかったのかもしれないが、
なんかそれも収容所のご飯のようで、これから講義だというのに気合いが
入らず、気分も暗くなってしまうような気がして、、、、
まっ、もういいか、ガストのことは。
やっと8時半くらいになり、いざ慶應義塾大学へ。
雰囲気のある門をくぐり、重厚な趣の旧図書館の前を通って研究室棟へ。
「学生入るべからず」のラウンジで、ぼ~~っとしていたら
巽先生がいらっしゃってまずはご挨拶。
9時に大きくてとても綺麗な南校舎ホールへ。
エレベータで、今日PAエンジニアと物販の両方をやってくれる
シンプレックスミュージックの0さんと遭遇。
彼女は後に巽先生から“プログレマネ”の呼称を与えられる。
ホールに着くと既に野呂さんが準備にかかってくれているし、
手伝いの巽ゼミ生のU君、Y君らも来ており、まるでライヴの時のようで、
一瞬にして気持ちが盛り上がり、程よい緊張感に包まれた。
機材セッティングとリハーサルで、あっと言う間に講義開始時間の15分前に
なり、客電を少しおとした状態でステージ上のスクリーンには
「KENSO LIVE IN USA」が流れ始めた。
10時45分、巽先生のお話しと勿体無いほどのご紹介をいただいて
講義開始。
講義の内容については、すご~~く長くなるので、メニューだけ
お伝えするが、あっと言う間の90分であった。
講義メニュー
0:ギター演奏、いつになく前衛風味で
1・私はどのようにプログレと出会ったか(私が当時聴いたラジオ番組を再現)
2;他のジャンルの音楽を取り込むというのがプログレのひとつの特徴で
あったわけだが、そのちょっと変わった一例としてFOCUSの
「HOCUS POCUS」を取り上げる。典型的なロックリフについても言及。
実演あり。
3:様式化できなかったプログレもあった。
イタリアの最高峰「AREA」についての編集音源。
4:様式化しやすかった要素について
例としてピンク・フロイドのテープエフェクトについて解説。
若者にまずオープンリールテープについて説明。
テープループの斬新さ、インタビューを挿入したことによってもたらされた
効果について解説。
5:もっとも様式化しやすかった要素「プログレっぽい」変拍子について解説。
6:学生さんたちが将来社会人になった時に役立つようなメッセージを
こめた「3,3,7拍子音源」およびkensoライヴの打上げで恒例と
なっている「3.5+3.5+5拍子」変拍子手締め音源を披露。
最後は、受講者全員(一部の不届き者は喝!)で「3,5+3,5+5拍子」を
競演、熱狂のうちに講義終了。
7:ギター実演
8:質疑応答
質疑応答については、最後に改めて触れたいと思うのだが、
巽先生が「今日は活発に質問がでてよかった」とおっしゃっていたとおり、
すごく熱心な質問が飛び交って面白かった。
ただ、もう私は体力と気力の限界が近づいており、シャープにお答え
できなかったのが残念だった。
講義が終わり、会場の機材の予期せぬ動きに疲れきっていた野呂さんと
私が機材を片付けている間にも、人生相談のような質問をよせてくる
学生、満足気に話しかけてくる早稲田大学のプログレサークルの学生
もいたりして、若者との交流が楽しかった。
(それにしても、最前列のど真ん中で受講し、質疑応答の際にも真っ先に
質問、しまいには私と早稲田大学プログレサークルとの関係にまで
言及させた早稲田大学学生!それが大隈重信流なのですか?)
そして、いつの間にかこんな私の人生経験もお役にたてる年齢になった
ことを実感。もっと、しっかり生きないとなあ。
皆さんのご協力のもと、すべてが終わり、巽先生やゼミの学生さんと
一緒についに念願の学食へ、、、、、と思ったら、そこは教員用の
レストランらしく、高級感漂うお店。さすが、慶應義塾大学。
そういえば、講義を行ったホールの上階にはカフェテリアもあるそうな。
食事をとりながら巽ゼミの学生さん7名からゼミの研究誌?
「PANIC AMERICANA」の取材を受けた。
皆さん、聡明でまじめで好感の持てる若者ばかりだった。
こんなオヤジの話を聞いてくれてありがとう。
でもね、あの時もう既に私は過労と睡眠不足で、、、、
「どうしてサザンが嫌いか」とか「県立相模原高校文化祭
ギターの弦切断事件の真相」とか、しょーもない話をしたような。
それにしても、みんな目の輝きが素晴らしかったね。
「清水さん、若いよね」と良く言われるが
若く見られるのと本当に若いというのは、ぜんぜん違うのだ。
彼らには、これから何十年も生きるだけのエネルギーが、
まずは生物学的なエネルギーがあるのだと実感。
さてさて、そんなわけで14時半頃に慶應義塾大学を出て、
そのままクリニックへ。働き者の(だって数年前のリニュアルで
多額の借金をしてしまったんだもの、働かないとマズイのですよ)私は
16時から診療。まずは、睡眠時無呼吸の患者さん。
ああ、疲れた!!
でも、楽しかった。
自分て、つくづくお金儲けのセンスはなかったと思う。
だからKENSO、30年以上やってたってぜんぜん儲からないし、
他のA歯科医院で380万円!!でいれたインプラントの不具合を
患者さんが「もう、あのA歯科医院には絶対に行きたくない」と
おっしゃるので、ほとんどボランティアのような治療費で
メインテナンスしている。
でも、そんな自分だからこそ築くことのできた貴重な人脈があり、
それは私の宝だ。
これまでの人生で、本当に素直に感心するほどの
計算高い人とも会ってきた。
よくもまあ、そこまで人生とお金について関連づけ
できるねと感じた。
でも、やはり自分には自分の生き方があるし、それしかできないのだ。
そんな私にしかできなかったバンドがKENSOなのだし、
それによってどれだけの素晴らしい出会いに恵まれたことか。
いや、素晴らしい出会いそのものがKENSOであったのだろう。
講義翌日からあちこちから感想のメールをいただいた。
大串准教授からの
「帰宅してテーブルの上に雑誌AERAが載っていたのですが、
それがAREAに見えてしまったという…
そんなところにも清水さんのご講義の影響が…」には爆笑した。
大学院生Sさんからの
「昨日のご講義では、清水先生の生演奏を聴くことができたのはもちろんのこと、
それまでプログレッシブ・ロックについて無知であった私も、
プログレッシブ・ロックの魅力について知ることができ、
(AREAの音楽も聴くことができましたし!)
大変貴重な経験をさせていただきました。
また、みなさんとの変拍子の手締めなど、
身近にプログレを感じることができた時間でした。
先生のすばらしいギター演奏とトークの面白さで、
あっという間の90分でした。
ためになり、なおかつとっても楽しいご講義、
どうもありがとうございました。」
というご感想も嬉しかった。
東京音大准教授でもある難波弘之さんには、
「玉砕覚悟。死んでもラッパを離さない覚悟で行って参ります」と
悲壮な決意を告白していましたが、
難波さん、どうやら若者にも通じたようです。
このうち数人でも、プログレを聞いていってくれると良いですね。
私の臨床歯科医としての最大の恩師である川俣浩先生からも、
「見事な授業でした。
清水先生はプロデューサーの能力が高いことを再認識いたしました」
「文系の心を持ち、理系の教育を受けられた清水先生の講義は
受講者に新鮮な空気を吹き込まれたのではないでしょうか。」
というご感想をいただき、とても嬉しかったです。
ま、とにかく、一所懸命誠実に努力をすれば、こんなにも楽しく充実した
そして有意義な体験ができるのだなあと実感。
巽先生の教授室に並ぶたくさんの洋書(英米文学がご専門なのだから
当たり前かもしれないが)、私と会う直前までお読みになっていたと思われる
アメリカ文化に関する、広辞苑よりも分厚い英語の(くどいね)本、、、、
そんな学究の徒の集う場所で、このような経験をさせていただいたことに
改めて感謝いたします。
「SPARTA Naked」のブックレットに掲載された海外のファンへの
メッセージの英訳や、只今制作中の新曲「A SONG OF HOPE」の
歌詞の英訳でお世話になった巽先生門下生で翻訳家の藤田エリナさんも
私の拙い講義を受講してくださり、講義のあとに初めて直にお会いできた。
これがまたチャーミングな(語彙、少なすぎ)女性で、
「おい、野呂さん、慶應義塾ってどうなっているんだ。
神奈川歯科大に、こんな女性いたか?」って思ったんですよ、54歳、
自分の可能性がそこそこ分かってしまっている哀しい年頃の私は。
みんな、いいなあ、未知の可能性があって。
大変なこと、嫌な奴、色々あるけど、頑張ってね。
では、ぼちぼちまとめましょう。
講義にいらした方にしか分からない言い方でいえば、
「人間には二通りいる。
慶應義塾大学の講師を経験したことのある人間と、そうでない人間だ」
質疑応答補足
●VG-88とギターシンセとの違い「補足」
冒頭で私がギターのボディを叩いて弦を振動させていたのは覚えていますか?
あれをギターシンセでやったら(あるいは、やっても)、誤動作が起きるだけで
ああいうギターの音はでないんじゃないかな?
VG-88はあくまでギターのピックアップで拾った音を処理している(MIDIに変換したりしているのではなく)ので、ああいったギターならではのノイズもノイズとして出力されるのだと思います。それと、ピッキングハーモニクス。あれも、
おそらくギターシンセでだったら、まさかオクターブ上の音が重なったりは
せず、誤動作するのではないかと思います。(もしかして、最新のギターシンセは
違うかもしれませんが)
●用意していったが、時間の都合でカットした項目
あの日、質問に回答するかたちでピンク・フロイドの「夢に消えるジュリア」を
再生したでしょう。あれ以外に用意していたネタは「プログレっぽいギター奏法」
でした。例題曲はKCの「ナイト・ウォッチ」とGENESISの「Firth of fifth」でした。チャック・ベリー→クリーム時代のクラプトン→ZEPのジミー・ペイジ→
上記の二つというふうに変遷をたどろうと思っていました。
それと同時に、これはエレキギターを弾いているひとにしか分からない、
(だって、結構間違った、、、というかしったかぶりの解説している人いるし)
ボリューム奏法あるいはバイオリン奏法という奏法。
ギターのボリュームノブでやる場合と足元のボリュームペダルでやる方法の
出音の違いについて解説することで、エレキギターのボリュームノブが
トーンコントロールとしての役目もしていること、などに言及しようと思ってました。また次の機会に。
●私が機材を片付けているときに、
「クック、クック~」のあとの前の曲、後の曲について質問してくれた
慶應義塾大学の女子学生さん、答は前回の私のブログに書きました。
あの時は、さっと答えられずにごめんなさいね。
●私は1968~1974年あたりをプログレの時代としているが、
もちろんそのあとにも、優れた作品はたくさんあり、、、、という
回答をしました。その補足ですが、あなたはART BEARSの
「WINTER SONG(SONGSだったかも?)」は聴いたことが
ありますか?あれをプログレの最終章とみるか、プログレ的な
味わいを持った新しい時代の音楽ととらえるか、、、考えて
みてください。
当日の写真を、巽先生および巽ゼミの学生さんたちのご厚意により
下記URLで観ることができます。
写真、ちょっと縦長だったり、横長だったりしているところが
若者らしくてよい。あれ?なんか、若者に甘くなってねえ?俺。
http://web.mita.keio.ac.jp/~tatsumi/blog/2011/06/up_2.html
かなり大きなホールだったので、ガラガラのように見えるが、
出席者は外部の方も含め、100名弱であったそうだ。
そして、この講義が終わって「あああ、終わってしまった」
という“学園祭終わってしまった症候群”に浸る間もなく、
次なる刺激的体験が私を待っていた。
“miwako” amazing voice. である。
それについては次回。
追記・
自分の人生が退屈なのか、自分はこんなに優れた人間なのに世間が
認めてくれないという気持ちからなのか、ちょっとしたことで
鬼の首を取ったように騒ぎ立てる輩がいる。
私がNHK FM「プログレ三昧」で「プログレミュージシャンどうしで
通用する3,5拍子というのがあって」という話をしたら、
ツイッターだか何かで「それって、フツーに8分の7拍子じゃん」と
得意になっていた音大出身者(私の記憶では)がいた。
そんなの分かっているよ~~そんなことも分からないで
30年以上も変拍子の曲作れないって。
よく聞きなさい。3,5拍子ととったほうがロック的なグルーヴが
でるのだって言っているのです、私は。
きっとロックバンドで演奏したことにないキミには分からないのだろう。
でも、そういう阿呆のおかげで、今回の慶應義塾大学の講義資料に
「正規の表記としてはこう」でもプログレ的には「こう」と
入れることができた。
ほら、キミだって役にたったじゃないか。